群馬県 磯部公園 安中市磯部1丁目 | |||
昭和57年(1982)4月除幕<93> |
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大正6年(1917)6月6日妙義山に向かったが、途中磯部で下車し、そこの林屋旅館に2泊する。 第11歌集『さびしき樹木』の「妙義山」に「その日妙義山に志したれど心変りて磯部に泊る」と詞書きして次の3首が収められている。 気まぐれの途中下車して温泉町停車場出づれば葉ざくら暗し 眼に立たぬ宿屋さがして温泉町さまよひ行けば河鹿なくなり 湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲り下れば渓川の見ゆ この後牧水は妙義山に向かい、「雲と雨とを眺め暮らすこと三日、僅かの時間に山に登り、十日東京に帰った。」(『若山牧水伝』) 磯部温泉は地図記号の温泉マーク発祥の地であり、巌谷小波がこの地の舌切り雀伝説をおとぎ話として書き残したことからその発祥地ともされる。その舌切り雀神社もある磯部公園には、地元の大手拓次詩碑を中心に以前から北原白秋・萩原朔太郎らの文学碑十数基があったが、昭和57年に安中市観光協会の手で牧水はじめ5つの文学碑が新たに建立されたという。 |
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群馬県 磯部温泉 はやし屋 安中市磯部1丁目5-21 | |||
建立日不明<8> |
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林屋旅館(現 はやし屋)には、AとCで都合14泊している。 第11歌集『さびしき樹木』には「妙義山ーー町端れの宿屋に入れば心の疲れ俄かに身に浸む思ひす」として、 ひとり来てひそかに泊る湯の宿の縁に出づれば溪川の見ゆ 溪川の見ゆるうれしみひろびろと部屋あけ放ち居ればうら寒し 第13歌集『くろ土』では「磯部鉱泉にて」として とある樹の根にしたたれる苔清水見てをりていまは飽かずもあるかな 川ばたの並木の桜つらなめてけふ散りみだる麦畑のかたに 樫の木の茂りを深み古き葉のきのふもけふも散りて尽きなく 霰なす樫の古葉にうちまじり散りいそぐかも庭のさくらは 芹生ふる沢のながれのほしまりてかすかに落つる音のよろしさ この歌碑の建立に関しては、「旅館主も知らず、いろいろきいてみても、まったく何の手がかりもない。とにかく古いことはかなり古く、どうにかすると牧水歌碑の中でも最初期のものの一つであるかも知れない。」(『牧水歌碑めぐり』)ということであるが、大悟法氏は「仮に戦後最初に建ったものとして第八号の牧水歌碑として数えておく」としている。 |
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群馬県みなかみ町 旅館藤屋 利根郡みなかみ町湯原719 | ||
建立日不明 |
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大正7年(1918)、画家三上知治の旅行スケッチ「利根の奥へ」に触発され、11月12日上野駅を発ち湯原(現 水上温泉)・湯桧曽・谷川温泉・吾妻渓谷等を巡り、軽井沢から松本付近を回って29日夜帰宅の旅に出ている。第13歌集『くろ土』に「みなかみへ」と題して159首の歌を収めた旅であった。(冒頭「利根川の水上を見むとて清水越の麓湯桧曽までゆく、其処よりは雪深くして行き難かりき、路すがらに歌へる歌。」の詞書) 紀行文は「利根の奥へ」(出発までのいきさつ〜湯原)、「みなかみへ」(〜湯桧曽)、「利根より吾妻へ」(〜権現峠附近?)、「吾妻川」(〜中之条)、「吾妻の渓より六里が原へ」としてまとめられている。 12日は伊香保に投宿。翌日沼田で昼食をとった後、馬車で湯原に行き藤屋に宿る。 『くろ土』には、「小日向村附近に到り利根は漸く渓谷の姿をなす、対岸に湯原温泉あり、滞在三日。」として16首。 凩の吹きしくなべにわが宿のそぎへの山の雪とび来たる 山かげの温泉の小屋の破れたれば落葉散り浮くそのぬるき湯に 夜をこめてこがらし荒び岩かげの温泉の湯槽今朝ぬるみたり 大渦のうづまきあがり音もなしうねりなだれて岩を掩へども 大渦のうづまきあがりなだれたるなだれのうへを水千千に走る |
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群馬県 谷川温泉 富士浅間神社 利根郡みなかみ町谷川514-12 | |||
昭和43年(1968)5月28日建立<51> |
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雨や凄まじい凩で1泊の予定を延ばした牧水は、雨の止んだ16日湯桧曽に向かう。そこで宿泊するつもりで無理にも宿を頼むのだが、「落ち着いて見ると静かどころかあまりに淋しい」(「利根より吾妻へ」)ため、3合の酒を飲み干すと谷川温泉へと道をとる。 『くろ土』には「湯原より利根の渓に沿うて湯桧曽に溯り更に転じて谷川温泉に到る。」として58首。 わが行くは山の窪なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路 行き行くと冬日の原にたちとまり耳をすませば日の光きこゆ 日輪はわが行くかたの冬山の山あひにかかり光をぞ投ぐ 日輪のひかりまぶしみ眼をふせてゆけども光るその山の端に 澄みとほる冬の日ざしの光あまねくわれのこころも光れとぞ射す 谷川温泉に関しては、「谷川温泉は個数十あまり。とある渓のゆきどまりに当る、浴客とても無ければその湯にて菜を洗へり。」とて29首詠まれている。 菜をあらふと村のをみな子ことごとく寄り来てあらふ此処の温泉に あばら屋のおそろしければ提灯をともしてぞ入る夜半のいで湯に 谷川と名にこそ負へれこの村に聞ゆるはただ谷川ばかり 何かせむ何かもせむとゐつたちつあまりさびしくうちほほけたり 二夜寝て去なむとしつつ渓ばたの雪の中の宿に名残の残る |
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群馬県高山村 権現峠 吾妻郡高山村大字中山 | |||
昭和44年(1969)12月7日除幕<55> |
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『くろ土』には、「利根の流域より名も知らぬ山を越えて吾妻川の峡谷に出づ、此処には雪なくてなほ黄葉残りたり。」に11首。 雑木山登りつむればうす日さしまろきいただき黄葉照るなり こまごまと雑木たちならびもみぢしてまろき峠の腹を掩へり とほ山はしろくかくろひわがいそぐ端山のはしに時雨かかれり 「名久田川といふに沿ひて下れば遥けきかたに一きはすぐれて高き山見ゆ、里の娘に問へば浅間山なりといふ。」6首。 おほよそにながめ来にしか名を問へば浅間とぞいふかのとほき嶺を 浅間にしまことありけり雲とのみ見し白けぶり真すぐにぞ立つ このあたり低まりつづく毛の国のむら山のうへに浅間山見ゆ 権現峠は沼田市と高山村の境にあり、ロードマップなどでは今井峠と記されることが多いという。 <群馬県@>へ <Album3 権現峠>へ |